日本人はイタリアにコロッセオは見に行くけれど、吉野ケ里遺跡を見に来る外国人はどのくらいいますか?
日本はこれから何で稼いでいくのだろう、という問もあるけれども、タイトルの通り文化遺産(既存コンテンツ)を活かすにはどうしたら良いのだろう。
海外旅行の目的は?
日本人が海外旅行に行く目的はなんだろうか。
- リフレッシュ
- 買い物
- 観光
- 留学
- 散策
- 息抜き
- 何もしないをしよう?
海外旅行に関する調査に基づけば、
- リゾート(海・山)
- 世界遺産・名所
- グルメ・ショッピング
- 自然・景観・町並み
がトップに来ている。
満足度では、
が上位である。
日本に来る外国人の目的は?
では、日本に来る外国人の期待はなんだろうか。
- SAMURAI
- ちょんまげ
- ニンジャ
- ゲイシャ
- SUSHI?
観光庁の2017年のデータに基づけば、
の順である。
ちなみに満足度順では、
の順となる。
クールジャパンてなんだっけ?
一応の確認として、海外施策として掲げているクールジャパンの目的は?
「日本の魅力」を付加価値としつつ産業として発展させ、海外需要の獲得(アウトバウンド)及び日本国内への海外需要の取り込み(インバウンド)につなげる取組を重点的に展開
5年ほど取り組んだ結果、上述の実態からつまりは「日本食」がクールジャパンの行き着く先なのだろうか。
文化はマネタイズできないのか?
毎年世界の観光収入国として上位に来るイタリア。
4年近く滞在したが、観光客の目的は、
- ショッピング(アパレルブランド)
- 世界遺産・名所
- イタリア食
- サッカー
が上位だった。
ちなみにイタリアは世界遺産ランキングにおいても、文化遺産部門ではその登録数はトップである。
カテゴライズすると、
- ショッピング(アパレル)
- 文化遺産
- 食文化
- スポーツビジネス
となる。
日本も同様に置き換えてみると、
- 食文化
- ショッピング(菓子類・酒・カメラ)
- ウィンドウショッピング
- 自然遺産
が外国人観光客の訪問目的となる。
共通項では食文化、ショッピングだが、イタリアに比べると単価が低そうな分、稼ぐ力としては弱そうである。
さて本題はここからである。なぜ日本では文化遺産が注目されないのか。
クールジャパンの功罪
クールジャパンの推進で、アニメやMangaが先に立つ。好まれるコンテンツは、ニンジャやSAMURAI、カタナやキモノである。ないしは攻殻機動隊に代表される近未来的社会である。
さて日本各地にその土地々々で差別化されたニンジャやSAMURAI、カタナやキモノはあるのだろうか。あったとして、その差異はそもそも日本人が説明できるものだろうか。つまりは近世をコンテンツ化することで、日本全国各地に外国人観光客を呼び込めるのだろうか。
どこかでやっていそうだが、クールジャパンに投資している予算に対して観光収入の成長率は妥当だったのか。
そもそも海外旅行する日本人の行き先を国内旅行に変えるような動きをした方が、国内の経済循環は健全ではないだろうか。
考古学に携わり、その課題感から提案できるのは下記の通り。
縄文と弥生を見に来る外国人を醸成すること。またはそれ、ないしは以降(古墳以降)の文化遺産を見に行く国内旅行者を増やすこと。
ここ最近縄文ZINEや、縄文-JOMONと縄文が取り上げられている。
jomonzine.com
jomon-kodo.jp
もっともっとそういった動きが活発になれば良いと思う反面、ファッション的な消費にならなければ良いと思う。
考古学からビジネスに入り、マーケティングに携わり、日本では如何に文化遺産のマーケティングが脆弱か認識できた。そもそもマーケティングをしている人たちも、ビジネスありきでしかマーケティングを語らない。いずれの能力・スキルも、アカデミアとビジネスを越境することがない。
自分ができることはここ数年でかなり明確になっているのだけれども、手がけるべき実行プランとしてまだ具体的な手がかりがない。縄文や弥生や古墳を見に行く日本人をどう増やせるのか。そのコンテンツを武器に、フォロ・ロマーノやコロッセオにどう勝っていくべきなのか。何より文化遺産を研究する人材をどれだけ育成し、そしてコンテンツ化していけるのか。
まずは商業施設やアンテナ基地局で古墳を壊すのではなく、眠っている文化遺産をみんなで掘ってみたら良いんじゃないだろうか。掘り返すことで貴重な文化遺産をそれこそ風化の危険に晒すことになるが、その保全と修繕に当たり前に税金が充当されるような文化意識が醸成されると良いと思う。
Coverされているものを、Discoverすることから進むべき道が発見できるのではないだろうか。
一週間の育児休暇(男性)をとってみた
4人目にして初めての育児休暇
Indeed Japanでは、2018年4月1日より新たな育児休暇制度が策定された。先日報道があり国でも今後検討されるようだが、Indeed Japanでは、例えば男性社員であれば子どもの1歳の誕生日までに、週単位で最大6週間の育児休暇が取得できるようになった。今回はその育児休暇制度に基づき、一週間の育児休暇を取得してみた。
www.nikkei.com
うちの家族構成
今回の育児休暇対象である末っ子は、2017年6月14日産まれの男の子。もう少しで1歳の誕生日である。
他に、小学校6年の長男、小学校5年の長女、小学校3年の次女、そして犬と猫。
最初に結論
一週間ではあるが育児休暇をとってみた結果、下記のメリット・デメリットが挙げられる。
気がついたこと
- 育児休暇は、会社を休暇するけれど、育児のための休暇であり日々とても動き回るし、仕事以外の体力と知識、筋肉が必要になる。
メリット
- 日々の末っ子の成長を身近に感じられる。
- 末っ子との距離がとても縮まる。
- 時間に追われずに子どもたちを見られるため、あまりイライラしない。
- 子どもたちの登校を見送れる。
デメリット
- 仕事とは違う筋肉を使うのでそれなりの筋肉痛。
- 近隣の住民から、なぜ平日に犬の散歩をしているのか訝しがられる。
- 仕事が気になる。
育児休暇の申請について
今回策定されてからすぐに私は申請を出した。男性の育児休暇では初めての事例になるだろう。事前に、上長とも同僚とも相談をしたが育児休暇を取ることでの申請上のハードルは何もなかった。
【申請上の】という言及をしたのは、反面、私自身、仕事を一週間休むことへの心理的ハードルがあったからだ。ちなみに前職からIndeed Japanへの転職でも有給休暇は使わずじまいだったので、いわゆる長期休暇以外での休暇は仕事をし始めてから初めての経験でもある。
気がついたこと(内容)
仕事を休むことへの心理的ハードルがあったものの、実際はそれ以上に末っ子との時間の比重が大きく、いわゆる【休暇】とは全く異なったものだった。もちろんのことながら、【育児】をするために仕事を休業するので育児にかけるリソースが最大となる。
言葉にするととても至極当たり前のことであるが、下記で言及されたように、リソースを割くためにも仕事で使う知識以外の知識が必要となるし、何よりハイハイからつかまり立ちをし始める時期の乳幼児は目が離せない。彼ら・彼女たちは、何をしでかすかわからないのである。
headlines.yahoo.co.jp
今回4人目となり慣れたつもりではいるが、末っ子が活動している間はやはり気が気ではない。ベビーサークルを置いたり、ずっと抱っこする、という回避方法もあるが、うちの場合は事前に最低限の危険回避だけしておいて、あとは好きにさせている。
これは上の子たちもそうだが、日常的なことは全て子どもたちに、敢えてやらせる。例えば給食着のアイロンなどは、小学校1年になった段階で、自分たちでかけられる様に教える。その分、ヤケドもするが、ヤケドをした場合の対処も覚える。
話が逸れたが「仕事休みで時間ありそう」と思われそうだが、その時間は育児に集中しているし、1歳どころか3歳くらいまでは夜泣き(恐縮ながら、私は起きられません)なりで、時間の概念があまりない。なので、単純に仕事を休みたいのであれば育児休暇ではなく、有給休暇を取るべきである(奥さんからすれば結果同じことだが…)。
メリット(内容)
1歳までの成長スピードはとても早い。産まれてから目が見える様になり、首が座り、寝返り、腰が座り、ハイハイをし、つかまり立ちをする。人間としての身体的な成長を一番する時期だと思う。様々なことができる様になっていく子どもの成長に立ち会えることは、何よりも代えがたいことではある。
また仕事をしていたら、1日の内子どもに使える時間はとても限られている。それこそ朝だけ顔を合わせて、また次の朝ということも当たり前になっているだろう。その分週末は子どもたちに時間を使うつもりでも、結局、平日にできなかった家のことや買い物などで週末が潰れることになる。
今回の育児休暇で、平日にできる限り家のことができたので、週末は子どもたちと時間を費やすことができた。
日々、小学校組の子どもたちの宿題を見て、朝、登校を見送り、子どもたちの部屋を片付け、余裕を持って子どもたちと接することができた。週末に全てが集中して時間に追われる週末でなくなったのは、とても大きな意味があったと思う。
デメリット(内容)
仕事とは全く異なる筋肉を使うことになる。とても具体的なところで言えば、1週間の内、子どもを抱っこする時間が多くなる。PCを開く回数より、ミルクを作る回数が多い。スマホを見るより、子どもの動向から目を離せなくなる。日中、家の周りを歩くと近所の人と挨拶から会話となり、ビジネスとは異なるコミュニケーション能力が試される。
また日本の男性の育児休暇の取得率は5%程度の様だ。福祉国家の北欧では80%程度らしいが、アジア諸国では日本と同様の状況の様だ。
【仕事を休む】ということに対するハードルがここでも出現する。有給休暇も育児休暇も労働者の権利として確保されているにも関わらず、それぞれ取得率が向上しない理由がある。
人により様々だろうが、日々仕事が気になる。他に育児休暇を取られた方のブログなどを見ていると、「会社関連のメールはすべてシャットアウト」「会社関連の連絡は絶対に受けない」という内容が多く見られた。
職種やポジション(=責任)によりその対応は異なるのだろうが、気にしないふりをしていても、関係のあるコミュニティとして結局無視はできないのである。
今後、日本において男性の育児休暇の取得率を向上させるには、制度ではなく心理的な負担を軽減することが全てである気がする。
さいごに
4人目にして、短期間ながら初めての育児休暇を取得できた。上3人をどうやって育てたのか今になっては思い出せない。私たち夫婦はそれぞれの両親に頼ることなく、それこそ奥さんは一度も里帰りすることなく、今まで子育てをしてきた。
私はファミリーサポートという子ども預かりのボランティア制度にも登録しているが、活用できるものは全て活用してきた。
また子育てに時間を費やすだけではなく、奥さんは一番上が3歳、2歳、9ヶ月の子どもを抱えながら4年生の学校に入り、国家資格を取得した。
私は前職で出社時間ギリギリで子どもたちを保育園に送り、定時で帰り子どもたちを迎えにいった。熱を出したときは会社を早退し、子どもたちと共に時間を過ごした。
実際そんなことで会社をクビになるくらいなら、こっちから辞めてやると覚悟していた。
そんな夫婦を憐れんでか、近隣の人たちが手を差し出してくれた。赤の他人が子どもを変わりに迎えに行ってくれたり、夫婦がどうしても休めないときは子どもを預かってくれたり、それこそ夫婦の帰りが遅いときは夕食まで提供してくれていた。
子どもを育てるのはもちろん夫婦であるのは間違いないし、それこそ、その血縁が手助けできるのであればより良いだろう。ただそれだけでは手が足りない。
人を一人育てるには、様々な人の協力や助けが必要になる。直接的には近隣の方々の目や関心。間接的には会社の有給休暇や育児休暇制度。
【少子化対策】という言葉を目にしながら4人の子どもを育てているが、現実的な子育てに紐付いた少子化対策がどこで実施されているのか全く実感がないのも実情である。
政治的な少子化対策や、ファッション言説としての少子化対策、またわかった風な育児論などどうでも良いので、一度は覚悟と責任を持って【親になる】という経験はしても良いのではないかな、と思う。
一度でも親になる経験をしていれば、子どものために時間を使う意義や意味が伝わるはずである。少子高齢化していく社会。子育てに厳しい社会。結局は相関関係にあるのだと思う。
子育てをしていないから、子育てが理解できない。時間の使い方が本質的に異なる現実が伝わらない。本来的にはそんな回りくどい必要もなくて、自分で子育てしなくても、その本質を想像できる人間的余裕がそれぞれにあるのであれば、日本の少子化問題はもう少し改善するのではないだろうか。
あの日から
写真を振り返ってみた
11月6日は私にとってとても感傷的な日なので、何だか過去を振り返ってみた。
もう16年も前
2000年2月、タイ、そしてインドに約1ヶ月滞在した。今は自分の家族の写真を撮る事が多いけれど、当時を振り返るとファインダーはやはり(他人の)ファミリーに向いていた。特に子どもの写真が多く残っている。
【Bodhgaya】India
【Bangkok】Thailand
【Calcutta/Kolkata】India
【Agra】India
【Agra】India
あれから16年経って、旅先で出会った家族や子ども達が今どうしているのか検討もつかない。当時のニューデリーは発展を目前に、都市開発があちらこちらで行われていた。泥だらけの旧市街を尻目に、舗装された道を歩くスーツ姿の白人男性を、私はぼんやり見ながらもそんな街中に興味が沸かず直ぐに旧市街に戻った事を覚えている。旧市街の街並みは迷路の様に道に迷いながらバザールを楽しむ事ができた。道を進む先々で様々な人間と出会え、子ども達はそんな街中を走り回っていた。
今更ながら振り返ってみれば、日本の日常で見て見ぬ振りをしていたものを、見に行ったに過ぎないのである。
その2年後
2002年9月〜2006年3月まで、イタリアで過ごした。実際の生活が始まるまで、タイやインドを旅した心持ちとは全く違い、「ヨーロッパ」という先進国へのバイアスが多きかった。語弊があるかもしれないが、(白人)ヨーロッパ社会へ憧れる東洋人の様な心持ち、と言えば良いのだろうか。*1
【Roma】Italy
真実はどうか。滞在許可証の取得ために、深夜から警察署に並び(それこそ各国の移民者と同様に)、全ての指の指紋を取られ、身体に模様があればその場で確認された。自分勝手に妄想していた牧歌的な「先進国」とは異なり、国家的なリスクヘッジがそこにはあった。当初は困惑したものの、それでも移民者を受け入れ続けるイタリアという国のホスピタリティを改めて認識できたのは、私に家族ができた頃だった。
遡って17歳のころ
1995年4月から1996年3月にかけて私はオーストラリアのパースにいた。17歳になり、日本に居れば高校3年生を迎える時期である。交換留学制度もない時代、私は1年休学と言う名の留年を選択した。イギリスが開拓し、アボリジニが保護されている場所。異文化と植民地問題、そして民族問題を目の当たりにしたのはこの時だった。
20年以上も前の写真を引っ張り出してみたら、何かを言いたそうに自分がこちらを見ていた。
【Hangover Bay】Australia
11月6日と11月7日
先に逝った幼なじみが生きていれば今日で39歳。そして生きているもう1人の幼なじみは明日7日に39歳。私が日本から目を背けている間に、相変わらず足下の問題を見落として大事なものを失い続ける日々。
タイやインドの街中を走り回っていた彼らの道は、今はもう舗装されているのだろうか。イタリアで「ギリシアから来た」と言う東欧人に「本当の国籍は」と、疑いの目を向ける日常はいつ無くなるだろう。今はもうアボリジニとすれ違い様に罵声を浴びせられることはないだろうか。
世界も社会も個人も、大なり小なり問題は山積だけれど、良い方向に向かって欲しいと願う。そういう気持ちを抱き、忘れずに生きるために、私にとっての今日があるんだと思う。
誕生日、おめでとう。
【入社エントリ】ドメスティックから、外資へLet's join usしました。
新しい会社で働き始めました。
退職エントリをアップした10月1日付けで、Indeed社にJoinしました。3日(月)から出社し、次の日には2020年までの中期計画策定の会議に参加しております。業界としては人材、という領域ですが、何が違うってベースがイングリッシュです。マニュアルからメールから、それこそPCの設定まで全てイングリッシュです。一応海外生活の経験はあるのですが、とは言え10年ぶり位の他言語ベースなので、慣れるにはもう少し時間がかかりそうです。
どんな会社か。
2004年に米国テキサス州オースティンで設立された会社です(現在の本社所在地もオースティン)。その後の10年で世界ではNo.1の求人サービス(50以上の国と28の言語でサービスを展開)と言われていますが、一般的に、日本ではまだまだ馴染みが薄いだろうな、と思われます。サービスは独立型の媒体ではなく、googleの様な、求人に特化した横断検索サービスになります。
規模として世界的には3,000人を超える従業員数で、日本オフィスは2013年に設立されています。日本オフィスは大きく営業と運用、そして開発の2チームに分けられ、私は今回営業側のDirectorとして参加する事になりました。
なぜ選んだのか。
今まで一つの媒体社の専属として、事業や媒体企画、それこそデジタルマーケティングを軸に仕事をしてきました。そこで得たものはとても大きく、反面社外の他の求人サービスの状況により興味を持つ事になりました。前回の退職エントリでも言及をしましたが、
だからこそ、もう一度“人”と“労働”を自分なりに捉え直してみようと思いました。
と言う思いがそもそもの原点です。人はどの様に仕事を探すのか。そもそもどうして仕事を探そうとするのか。そして、その仕事に決める理由は何なのか。そういった本質的な事を、それまでとは違った視点で再考したいという単純な動機でしかありません。
sokayasu.hatenablog.com
これから。
まだまだ参加して3日しか経っていませんが、本当に運良くその3分の1位は、いつもは米国本社にいるPresidentと言われる社長や、その周辺を固める副社長などと時間を共にすることができました。また少ない時間ながらCEOとも話をすることができ、会うべき人に会う事ができました。
とは言え、認識しているミッションはとても大きなもので、どの様に実現していくかは、私自身これから素材を集めなければいけない状況です。もちろん冒頭のイングリッシュは必要なスキルであるのは事実ですが、それ以上に日本の労働市場において、グローバルサービスをどうジャパンローカライズしていくべきかは、まだまだ検討の余地があるなと感じた次第です。
ミッション。
その証拠にIndeedのミッションは、
We help people get jobs.
という言葉に尽きます。日本の文化の中で、日本人が、それこそ人々が望む仕事に就くためには何が必要かを考え続けなければなりません。これには雇用側も被雇用側も巻き込み、またそこに携わる労働市場の様々なプレイヤーを巻き込みつつ、改めて日本人の働き方を再考するタイミングなんだと感じています。
私の名刺の裏にもこう書かれています。
I help people get jobs.
これからも宜しくお願い致します。
【退職エントリ】岡安、アイデムやめるってよ
アイデムを退職する事となりました。
9月末を以て、2006年4月からお世話になった株式会社アイデムを退職する事となりました。入社した当初には全く想像もつきませんでしたが、結果約10年という月日となりました。在職中にお世話になった方は数知れず、多大なご厚情を賜り誠にありがとうございました。反面、面と向かって退職のご報告ができた方は少なく、退職のご連絡がメールや電話になってしまった事、とても心苦しく思っております。この場を借りて、お詫び申し上げます。
と言うわけで10年分の思いの丈を。
28歳社会人経験なし。日本での在籍先なし。つまりはニートの私が「タウンワーク(本当はジョブアイデム)を見てお電話しました」とたどたどしく電話応募し、DTPなんて商用環境でやった事ないのに「QuarkXPress、Photoshop、Illustrator完璧です」と見得を切り、「なんでこの会社選んだの?」という質問に、「家から自転車で通える距離だったので!」と言う志望動機で入社できたあの日。「漢字テストあるよ。“あいさつ”って漢字で書ける?」と言われ(漢字が全く書けません)、入社への道のりで一番漢字テストを恐れていました(結局、何故かテストは無かった)。
詳細は長文になるので割愛しますが、
入社→リーマンショック→部署縮小→異動(勤務地変更)→異動(勤務地変更)→異動(職種変更)→新規事業企画→異動→媒体企画→プロモーション(広告・宣伝・Web・PR)兼務→事業企画・開発兼務→新規部署立ち上げ(職種変更)→異動(管理職)→基本全部兼務→今に至る。
という濃密な10年でした。多分全体の従業員数から考えればあり得ない位のジョブローテーションの機会に恵まれたなと思います。ありがとうございます。
アイデムという会社について。
アイデムには、
企業は人なり。企業は常に未完成でなければならない。企業は動的でなければならない。
という経営理念があります。これは毎週月曜日に「唱和」という形で、社員全員で起立し発声しているわけですが、その光景を目の当たりにした初日は吐き気を催した事を記憶しております。その内容にではなく、「ああこれこそ忌み嫌っていた『ようこそビジネス社会へ』という儀式だ」と。ただ仕事をしていく中で、その内容を自分なりに深く考える様になりました。
「つまり認識論だ」と、捉え直したのは3ヶ月が経とうとする頃だったかと思います。アイデムは株式上場をしていないオーナー企業です。少なからず、その経営方針を揶揄する言葉が社内でも聞かれます。「会社が変わらない」「会社が決めた」「そんな会社だよね」という言葉を聞く度に、いやいやそう規定しているのは“自分自身だよね”と、改めて企業理念を振り返る様になりました。
私は天の邪鬼なので、企業理念を逆手に取りました。それはつまり“オーナーが決める事が会社(の方針)、ではなく、人=自分が決める事が会社(の方針)であり、かつそれは転がり続けるものでなければならない”と認識する様になりました。そこからは業務領域を大きく跨いだ企画・提案の連続です。当時の上司からすれば面倒くさい人間であった事は確かですが、それでも結局認めてくれていつでも背中を押してくれました。
結果、媒体の規格を変え、何年も止まっていたマスプロモーションを再開し、新たな事業や企画を展開しながら、アイデムでは苦手とされていたWebプロモーションへの投資を実施する事が可能になりました。今では仮面ライダーゴーストで御成役を演じる柳くんを起用した新卒サイトJOBRASSのCMを作ったり、ACC(日本CM放送連盟)で入賞したイーアイデムのCMバイト戦士など、オンライン施策だけでは体験できない“撮影現場”を体感させてもらいました。何より今では毎年継続されているアイデムカップの立ち上げは今となっては良い思い出です。
www.a-stadium.com
アイデム演劇プロジェクトとして、動画マーケティングを継続しています。
アイデム演劇プロジェクト シャーロックンロール・ホームズ | 地元を再発見するならイーアイデム
何をミッションとしていたのか。
「岡安さんは、何を担当している方ですか?」と、名刺交換をする度に聞かれます。最終役職は“株式会社アイデム 東日本事業本部マネージャー”ですが、担当職種は記載されていません。言ってしまえば企業運営における、人事・労務・採用関連に関する業務以外全てが業務領域となります。プロモーション領域においては、オンライン・オフライン関わらず(兼務ではありましたが)全てを統括することとなりました。もちろん営業本部としての役割を担っていたので、日々の営業進捗などを見つつ、という感じです。会社全体の売上を拡大し、利益を上げること。そのために営業推進策を検討・実施し、媒体への集客を強めること。それらがミッションとなっていました。※結局引き継ぎの段階になって、色々な人に仕事を振り分ける(投げつける?)事になったわけですが…。
個人的に目指していたこと。
私はアイデムに入社するまで考古学という分野にいました。学問分野においても社会科学なのか自然科学なのか、とてもイメージがし難い分野ですが、いずれにしても“人”を捉え考えることは今の仕事に共通していました。特に“労働”という概念については、どの時代を通しても“人”についてまわります。労働市場という、一見考古学からは遠いマクロ経済の分野ではありますが、今の仕事を通して改めて“人”の歴史を立体的にイメージができる様になりました。
例えば、私は仕事をしたくありませんと言うと語弊がありますが、正しくは私は仕事を“させらたく”ありません。望まぬ労働に強制的に就かされるよりも、できる限り自分の生き方に寄り添った労働状況であればと思います。とは言えいずれにしても人は働かざるを得ません。マルクスが言及した歴史の発展様式や生産様式に代表される様に、主義・思想がどうであれ、“人”と“労働”の関係性を改めて考えさせられたのです。
とても抽象的な表現になりますが、“人”の“労働”を規定し強制するものは何か。また“人”が盲目的に、いわゆる思考停止をし“労働”を受け入れる社会が、またその上位数%が資本を持つ者として目指すべき目標として認識される社会が、私たちが本来的に望んでいる社会なのか、そんな中二病的な問いを繰り返し再考する様になりました。
だからこそ、もう一度“人”と“労働”を自分なりに捉え直してみようと思いました。
コンテンツマーケティングとコンテキストマーケティング
プロモーションを実施する際に、「労働を通し(あなたは)どう在りたいか」を想定し、「(あなたにとって)私たちのサービスは有益です」「私たちは(あなたの)味方です」と言うメッセージを込めます。これを考える事が私にとっては一番厄介な、骨の折れる仕事となりました。商業的、経済的なビジネスマンは、当たり前の話しですが前提としてマネタイズを考えます。つまりは儲かるかどうかを優先した後に、倫理的な整合性を取りますので、検討スキームはある意味フレーム化されています。私の場合はその段階から手が(思考は止まりませんが)止まります。
「労働を通し(あなたは)どう在りたいか」ばかりを考え続けてしまうのです。もちろん統一的な答えなどありません。その中でアイデムとして、また日本の労働市場として、結果としての収益モデルをイメージします。そんな事を繰り返している中で、コンテンツマーケティングという手法がトレンドとしても注目される様になりました。当初は、はてなさんやデイリーポータルZさんと取り組みながら、アイデムとしての型を模索していきました。その過程でジモコロに辿り着きました。正しくは、柿次郎さんに出会いました。
markezine.jp
ジモコロという思索
ジモコロについては何度も言及していますので、詳細には触れません。ジモコロは一言で言えば“多様性”です。地元や労働を軸にしながらも、より“人”の“多様性”を見せてくれるものです。それは、もちろん読者にとっての“多様性”であり、アイデムとしての“可能性”でもあるわけです。私が悶々としていた労働への態度が、ジモコロの中では姿形を変えて次から次へと展開されます。ジモコロは、地元に転がる(コロッケ?)情報を届けるメディア、というコンセプトですが、そこで描いているのはやはり“人”なのです。そういう意味では、ジモコロが更新され続ける限り、“人”の多面的な“労働”を伝えてくれる装置として存在してくれるのです。
退職の理由。
“人”と“労働”を考え続けてくれる装置ができたから辞めるわけではありません。アイデムが嫌になったから、でもありません。企業は人なり、自分なりですから、それを否定することは自分を否定することです。私はいつでも考古学の世界に戻りたいと思っていますし、考古学に携わる仕事に就けたらと思います。反面、労働情報を提供する側として、その世界を見るととても限定的な領域です。とても皮肉な話しですが、日本の文化財調査の95%以上が経済的な要因に依るもので、「ここに重要な文化財があるから調査しよう」というものはほんの数%です。つまりは前述していた労働市場の構造に近いのです。
退職のきっかけは7月に参加したジモコロ熊本震災イベントの取組が大きいです。メディアの力を再認識した事。またそこに参加している様々な働き方を示してくれる人々。だからこそ、という理由にはならないかもしれませんが、改めてビジネス社会において学んでみようと思いました。アイデムとは異なった文化で仕事をしてみたいと思いました。退職の理由は本当にそんな単純な理由です。
kurokawawonderland.jp
御礼
何よりアイデムの皆さま、今まで誠にありがとうございました。繰り返しになりますが、私のビジネススキルはアイデムで培ったものとなります。特に私の近くで仕事を共にしていた方々にはご迷惑ばかりをかけたかと思います。本当にありがとうございます。
またプロモーションを実施するにあたり、様々な事業者様、代理店様にお世話になりました。とても面倒臭い広告主側だったろうな、と自分自身認識しております。特にgoogle社やフリークアウト社には無理難題ばかり。お付き合い頂きありがとうございました。
そして直近では、柿次郎さん(id:kakijiro)、望月さん(id:hirokim21)、DPZ安藤さん(@hige_bowz)、小松さん(id:ShoheiKomatsu)、そしてはてなの高野さん(id:mtakano)、いつも私の与太話に付き合ってくださいましてありがとうございます。
これから。
10月1日〜は別の会社に在籍する事となり、10月3日から、つまりは週明けの月曜日からは他の会社に出社致します。(入社エントリはそのタイミングの予定です。)
またWebマーケティングやアドテクに向き合う中で、(特にジモコロが大きいですが)セミナーの登壇や講義など、コンサルティング領域でのニーズが増えて来ました。この領域においては、引き続き自分の力を伸ばしつつ、個人的に取り組んでいければと思います。アイデムとして、という看板が外れて、どの程度話しが来るかわかりませんが、お声がけ頂けると幸いです。
最後に。
「元気でな。良い奴だったな。さよなら。」と笑いながら送り出してくれたアイデムに、愛を込めて。今まで本当にありがとうございました。色々とありすぎて、書ききれませんでした…。
ボランティア、NPO、CSR?とかって、もうどうでも良いよね。#ジモコロ熊本復興ツアー
目の前にはあふれるばかりの自然と、不自然なブルーシートが広がっていました。
本当は迷いに迷って。
「熊本に行く。できれば子ども達も連れて。」
「いや、意味わかんないし。何でこんな時に?まだ余震もあるんだし、そもそも現地からすれば迷惑なだけじゃない?」
迷いに迷って口に出した僕の言葉に、奥さんは続けて言いました。
「私たちには、ここからできる事だってあるでしょう?」
「だったら、僕は1人で行くよ。」
その後の数日は夫婦仲がギクシャクしたのは事実です。ただ結果的に「わかった。行く。せっかくだから行こう。」と僕よりも前のめりになってくれたのは、いつだってポジティブな奥さんでした。*1
個人としても、どこまで足を踏み入れるか迷っていました。
www.e-aidem.com
ジモコロ、というよりはid:kakijiroと田村祥宏さん(EXIT FILM)の企画として始まった熊本復興支援ツアー企画。id:hirokim21や田中さんはじめ、様々な方々が企画を支えていました。もちろんジモコロに携わる身として、また会社人として、どこまでコミットするべきなのか考えあぐねていました。どちらかと言うと「復興支援」という言葉を纏い行動することに、自分自身の立ち位置に迷いがあったのは確かです。*2
子ども達に見せたかったもの。
結果、参加して得た物はとても大きく、お金では買えない物を改めて認識しました。会社としては全く広告など展開していない地域ながらも、髙橋町長や黒川温泉の皆さまの「イーアイデムさんが」という言葉に逆にハッとさせられました。そして「パパの会社だね」という子ども達の声は、色々な迷いを吹っ飛ばしてくれました。
長女はこの時間で色々なものを見聞きしました。
柿次郎さんが引っ張っているジモコロというメディアは、ただ面白いメディアではなく、人に感謝されるメディアになっていたのです。それもオンラインではなく、オフラインで、しかも地理的にも集中された場所で。
自然も人も素晴らしい場所でした。
ここが南小国の水源である、立岩水源公園。川沿いを歩きました。
初めてのノコギリで竹コップ作り。この竹コップで流しそうめんを食べました。
僕の子どもの頃には身近にあった笹の葉、いつの間にか身の回りから無くなっていました。子ども達は笹船の作り方を教わりました。
感謝されるより、感謝ばかりの2日間。
宿に泊まっていても感謝の言葉で迎えられました。黒川温泉のホスピタリティに包まれながら、温泉手形を握りしめ、家族で温泉をハシゴしました。各ブロガーさんがカメラ片手に走り回る中、我が一家はとにかく温泉に浸かりました。黒川温泉は最高です。今ではもう予約が取れないのも理解できる程に。
そして浸かりながら、そんな機会を設けてくれた柿次郎さんに心ながら感謝をしていたのは秘密です。
そして目的が決まりました。
今回のツアーで、様々なふれ合いと経験を通して子ども達は明らかに成長しました。以前は、飛行機さえ乗った事がない彼らです。そんな中、長女は何かを感じたのか親の知らない間にこんな願いを短冊に書いていました。
自宅に戻り、黒川温泉の方がアップされた写真を見て初めて知りました。「復興支援」という言葉に対する僕の立ち位置の迷いがとてもちっぽけに思える位に率直なコメントです。彼女も1人のライターとして、夏休みの自由研究として震災についてまとめるそうです。
今回の企画への本質的なアクションは、彼女が学校内で発表する事になると思います。
最後になりますが、田村さんが寿命を削って制作してくれた映像が素晴らしいので是非ご覧下さい。
子ども達も楽しそうです。
youtu.be
*1:ちなみに彼女は子どもを3人産みつつ、末っ子が生まれるや否や看護学校に4年通い、看護師と保健師をストレートで取ってしまい(4年間の睡眠時間は、『俺、徹夜続きで超仕事馬鹿』と言うビジネスマン以下だったと思います)、そのまま新卒看護師として就職する様な女性なので、その行動力にはいつも圧倒されてばかりなのです。
*2: これは未だに迷いのある問いですが、阪神大震災ではボランティア活動とされていたアクションが、東日本大震災ではNPO法人としての活動に変化していました。そしてそのNPO法人を支える資本の実情が100%投資会社だったりすると、資本を利用するとものと、善意を利用するものに対する投影としての「復興支援」対象であったりすると、ますますわからなくなるのです。NPO的な独立性が一つのファッションとして利用されていないか。結局、資本を入れるのであれば、所属していた会社から資本を引っ張る事と同義ではないのか。何より所属していた組織から資本を引っ張れなかったから独立している様に見せて、実際手にしているのは自身の疑似自由性なのでは、と。そしてそう捉えること事態が、既にニヒルになっていやしないか。ここはid:hirokim21と一度、72時間位、また温泉に浸かりながらゆっくり議論をしたい所ですが、僕の答えは「祈るな!!祈れば手が塞がる!」という言葉に帰結すると思います。
地元と仕事のルネサンス
ようこそ。
柿次郎さんの言葉に引っ張られてブログを書きます。(多分メールとかメッセージとかで伝えて終えられる内容ですが。)
それは何十年、何百年にもわたって紡がれた歴史をたった数時間で理解するなんて不可能だってことです。無理無理! むしろ、おこがましい!
柿次郎さん、歴史と文化の世界へようこそ、と言うのが一番の感想でした。
私たちが掲げる「地元ルネサンス 仕事ルネサンス」には、柿次郎さんが感じた諸々の文脈や背景を含んでいます。知っているはずだった地元を再発見すること。また、そこにある(あった)仕事を地元の文脈として再発見すること。ちなみに地元の定義として、小中学生時代の通学路を一つの範囲としました。それはつまり徒歩のスピード、または自転車で行き来できる距離感を示しています。
みんな売れ始めています。
ジモコロを初めて、それまであまり脚光を浴びていなかったライターの記事や類似の企画の切り口を、同業他社含め目にする様になりました。属する会社がどうであれ、個人的には良い傾向だと思っています。ライターとしての職業が、現実的な一つのポジションを得られるのであれば、雇用の創出という側面でも意味があったと考えています。その分、ジモコロは先へ先へ行かなければいけないとも考えています。
一次情報が全て。
各地の一次情報を得ること。それがジモコロの一つの武器ではありますが、「地元・仕事・面白い」という軸だけでは、単純に消費される記事になってしまいます。何となくその時は面白くて、流行りの仕事が垣間見えて、それはそれでコンテンツマーケティングの意味を成すのだと思います。但しそれはルネサンスに繋がりません。エンタメとして一時的な消費活動となり、他記事などに駆逐されるだけの情報でしかありません。つまり一次情報が見つかれば誰でも(どのメディアでも)良い、となってしまいます。
新たなステージに。
柿次郎さんが感じた歴史の文脈が一つの答えだと考えています。ジモコロを半年ほど動かした時に、「ジモコロは次のステージに行かないといけない。今はまだ消費されるだけの記事ばかりだけれど、消費されない、今後も言及され続ける記事を出し続けなければならない」と、何となくのビジョンを定めました。結果的に2015年の年末から、ジモコロの記事は立ち上げ当初に比較し、より「仕事」に寄り添った記事が増えています。
仕事が全てではない。けれども、そこには人の歴史がある。
各地の取材が増える度に、各地の歴史が紐付いて来ます。地元を代表する仕事には、地元の文化に紐づく仕事があり、その仕事にもまた歴史があります。そこを掘り下げて、またわかりやすく伝えられるのがジモコロの良さだと思います。ただ「面白い」と消費されるものから、「面白く、そして今後、はたらき方を確かめるために何度も読みなおす」ことができる記事こそが、今後のジモコロの在り方を示してくれるものだと私は考えています。
面白さと仕事と文化と歴史。
歴史は固く見え、歴史的知識は一般の仕事においてあまり意味を成しません。だからこそジモコロという表現手法が有効的だと思います。一見、消費的でエンタメ的情報に見えても、読み解いてみれば、あまり光が当たっていなかった仕事や労働の歴史が立体的に浮かび上がってくる。一見すればコミカルな内容も、実は様々な課題定義をしている、猫を被った媒体。ある意味で、誰もが楽しめる、そんなメディアであり続けられればと思っています。