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ワクワク・ライフ・バランス

誰を向いて仕事をするのか?

知っていましたか?5円玉をお賽銭にしても効用は薄いという事を。

考古学って知っていますか?

 「元々は考古学をやっていました」といつも自己紹介しています。だいたいにおいて誰もが鳩が豆鉄砲を食った様な表情になります。ないしは「光化学スモッグですか?」と「考古学」という言葉を初めて聞いた様な返答も時々はあります。実際に私は大学で考古学を選考し、今の会社に入るまでの10年間、考古学の世界に身をおいていました。遺跡の発掘をしていたのです。今回はつい先日、大学時代の恩師の最終講義に出席し改めて学んだお話しです。
 恩師である先生は大学卒業後すぐに、ある文化財の調査に携わります。その現場見学初日に、違和感に気が付きます。発掘調査はほぼ終わっていると言われる地面を見渡すと、手付かずの遺構が散見されたそうです。当時では掘る意味が無いと思われていた遺構を、配属後、先生が担当する事になりました。「入ってきた新卒がいきなり生意気な口を聞いたために、雑用を押し付けられた感じですね」と先生は苦笑いをしていましたが、その「発見」は成田山新勝寺の縁起にも関係する様な重大な物でした。結果、成田山には直接関係は無いと結論づけられました(その結論付けも、大学出たての先生が行いました)が、日本社会の根底にある格差不安の歴史を浮き彫りにする発見となりました。

悔過(けか)って知っていますか?

 先生の調査の結果、手付かずの遺構は寺院建築に関係するものでした。その後、双堂建築と推定され(私が在学していた頃はそこまで明確ではありませんでした。)ましたが、その瞬間的な気付きと自己の違和感への従順性は見習うべき点が多いと感じました。
 さて双堂建築とは何でしょうか。一番有名なのは、東大寺法華堂になります。正に来月、修二会が行われますが、その後の調査で8世紀後半には奈良(大和)から離れた東北から九州まで同じ様な構造の遺構が報告されています。では東大寺法華堂は何を行う施設なのでしょうか。
具体的な説明はコチラ
 お水取り、お松明と言われる法要ですが、公式には「十一面悔過」と言われます。悔過(けか)とは何を意味するのでしょうか。

「十一面」とは「十一面観世音菩薩」のこと、「悔過(けか)」とは私たちが生きる上で過去に犯してきた様々な過ち(あやまち)を、本尊の仏前で発露(ほつろ)懺悔(さんげ)する(告白して許しを請う)ことをいう。

詳細は
用語説明 其の二|修二会|年中行事|華厳宗大本山 東大寺 公式ホームページ
 悔過とはつまり懺悔し、自ら犯した罪や過ちを悔い改めることを指します。注目すべきはその事例が8世紀後半には東北から九州まで、一般的(公的な遺跡以外でも)な遺跡にて存在が認められたことです。

「書かれたもの」と「書かれなかったもの」

 脇道にそれますが、いわゆる歴史学史料批判(検証・研究)を対象とします。歴史学が対象とする主な史料とは「書かれたもの」です。対して考古学は物的史料をメインに対象とします。時代を遡れば遡る程、「書かれたもの」は少なくなりまた偏りが生じます。つまり高貴な位のものほど保存されやすく、民衆の生活は史料化されにくい、と言うのが実際です。結果的に、歴史学は政治学などの公的な歴史を批判(検証・研究)する研究が多くなり、「書かれたもの」が少ない民衆の歴史は立体化が難しくなります。昨今の考古学は後者を対象に、物的史料から「書かれなかった」民衆の歴史の発見が多くなっています。

仏教はいつから?

 先生が着目した点は、総国分寺とされた東大寺と各都道府県の国分寺国分尼寺の在り方と共に、そこに配置された法華堂と同様の構造の建築物が、東北地方から九州地方の集落遺跡に散見されるという事実でした。8世紀の日本は、仏教による国家鎮護が推し進められた時代です。先生はその浸透度合いを、大学卒業後の違和感から退官に至る研究期間にて実証されました。つまり今に至るまで、当時の偉い人から下々の者まで神や仏に同様の概念で参り始めたのは、8世紀中葉〜後半である、と。それが神・仏の存在価値が一定に認められた次期である、と。
 私たちはお参りの際に5円玉を用意し、「2礼2拍手1礼」をお参りのスキームをしていますが、先生は意味が無いと言います。そんなものは近世以降(江戸時代)の新しい文脈だ、と。つまり古来からお参りには十一面悔過に代表される悔過を行ってからでないと、お参りの意味を成さないと言われます。古代の悔過では、「水に流す」という行為が当てはまります。今でも水に流すと言いますが、考古学上では様々な遺物(字が書かれた土器など ※墨書土器と言います)が当時の川底から発見されています。また今でも色々なものを川に流す儀礼は多いです。例えば、ひな祭りの流し雛などが概念としては近いかと思います。その根源は「水に流し懺悔する」という意味を帯びているのです。

いつの間にか人々は祈りだしたの?

 これは大きな発見です。仏教伝来から仏教の一般化まで官側の動きは史料批判から可能な限り明らかにされておりましたが、「民衆への伝播実態はどうか」という疑問には応えられていなかったからです。仏教伝来という文脈では6世紀半ばから語られますが、741年国分寺建立の詔の際にはまだまだ日本各地に仏教は根付いて居なかったと考えられています。だからこそ鎮護国家のために国分寺建立が推し進められたと考えられていますが、先生の仮説では神仏への宗教心と、悔過に代表される宗教活動は中央(ヤマト)から地方(関東、東北、九州)まで、「同じ概念・手法」が伝播していた、というものでした。
 この概念の発見を現在から未来に置き換えると、例えば今から2,000年後にクラウドサービスのデータセンターが発掘されます。今はデータの世界で物的証拠も全てデータ化されていますので、文字史料はより残り難くなるかと思います。するとシンクライアントに代表される様な簡易端末がネットワーク越しにクラウドサービスを活用する世界の仕組みや概念が、しっかりと後世に伝わらなくなる可能性があります。すると発掘されたデータセンターは、「持てる者が作った何かしらの施設」と考えられるでしょう。そういったものが全国各地に発見されると、「ある階層の生活には同一の施設が付帯する」と考えられるかもしれません。本当はただのデータセンターで、利用元は私たちの様なエンドユーザでもあるにも関わらず。もっと言えば「ある階層」に限定されると考えられる施設利用は、実際の所限定される事無く、それこそエンドユーザのために設計されたものであるにも関わらず、です。

文化を掘ろう。

 古代の悔過という行いと双堂建築の発見は上記の様なものだと思います。中央政権がその正統性を知らしめるために行った悔過施設の一般化。地方豪族が中央との争いや、他豪族との争いの中で悔過を行った遺跡。格差が生じ始め、日々の生活に不安を感じ始めた民衆が行った行為。公的なもの、地方の豪族、一般の民衆まで8世紀初頭から後半までにかけて同一の遺跡分布が認められたのです。
 先生は「8世紀が社会主義的世界から資本主義世界への転換」とし「社会的格差のために、個人でも各神仏に祈らねばならない」と、人の動きに焦点を当てまとめていました。8世紀を境目に今の日本社会では当たり前とされている儀礼が成立しており、またお参りする不安感は現代に通じるものがある、としています。
 先日の記念公演に参加し、この歴史のダイナミクスとまた考古学の可能性を改めて認識しました。今後は、悔過をした後にお参り下さい。ただただ5円を投げてお参りしても効用は薄いやもしれませんので、ご注意ください。