あの日から
写真を振り返ってみた
11月6日は私にとってとても感傷的な日なので、何だか過去を振り返ってみた。
もう16年も前
2000年2月、タイ、そしてインドに約1ヶ月滞在した。今は自分の家族の写真を撮る事が多いけれど、当時を振り返るとファインダーはやはり(他人の)ファミリーに向いていた。特に子どもの写真が多く残っている。
【Bodhgaya】India
【Bangkok】Thailand
【Calcutta/Kolkata】India
【Agra】India
【Agra】India
あれから16年経って、旅先で出会った家族や子ども達が今どうしているのか検討もつかない。当時のニューデリーは発展を目前に、都市開発があちらこちらで行われていた。泥だらけの旧市街を尻目に、舗装された道を歩くスーツ姿の白人男性を、私はぼんやり見ながらもそんな街中に興味が沸かず直ぐに旧市街に戻った事を覚えている。旧市街の街並みは迷路の様に道に迷いながらバザールを楽しむ事ができた。道を進む先々で様々な人間と出会え、子ども達はそんな街中を走り回っていた。
今更ながら振り返ってみれば、日本の日常で見て見ぬ振りをしていたものを、見に行ったに過ぎないのである。
その2年後
2002年9月〜2006年3月まで、イタリアで過ごした。実際の生活が始まるまで、タイやインドを旅した心持ちとは全く違い、「ヨーロッパ」という先進国へのバイアスが多きかった。語弊があるかもしれないが、(白人)ヨーロッパ社会へ憧れる東洋人の様な心持ち、と言えば良いのだろうか。*1
【Roma】Italy
真実はどうか。滞在許可証の取得ために、深夜から警察署に並び(それこそ各国の移民者と同様に)、全ての指の指紋を取られ、身体に模様があればその場で確認された。自分勝手に妄想していた牧歌的な「先進国」とは異なり、国家的なリスクヘッジがそこにはあった。当初は困惑したものの、それでも移民者を受け入れ続けるイタリアという国のホスピタリティを改めて認識できたのは、私に家族ができた頃だった。
遡って17歳のころ
1995年4月から1996年3月にかけて私はオーストラリアのパースにいた。17歳になり、日本に居れば高校3年生を迎える時期である。交換留学制度もない時代、私は1年休学と言う名の留年を選択した。イギリスが開拓し、アボリジニが保護されている場所。異文化と植民地問題、そして民族問題を目の当たりにしたのはこの時だった。
20年以上も前の写真を引っ張り出してみたら、何かを言いたそうに自分がこちらを見ていた。
【Hangover Bay】Australia
11月6日と11月7日
先に逝った幼なじみが生きていれば今日で39歳。そして生きているもう1人の幼なじみは明日7日に39歳。私が日本から目を背けている間に、相変わらず足下の問題を見落として大事なものを失い続ける日々。
タイやインドの街中を走り回っていた彼らの道は、今はもう舗装されているのだろうか。イタリアで「ギリシアから来た」と言う東欧人に「本当の国籍は」と、疑いの目を向ける日常はいつ無くなるだろう。今はもうアボリジニとすれ違い様に罵声を浴びせられることはないだろうか。
世界も社会も個人も、大なり小なり問題は山積だけれど、良い方向に向かって欲しいと願う。そういう気持ちを抱き、忘れずに生きるために、私にとっての今日があるんだと思う。
誕生日、おめでとう。