地元と仕事のルネサンス
ようこそ。
柿次郎さんの言葉に引っ張られてブログを書きます。(多分メールとかメッセージとかで伝えて終えられる内容ですが。)
それは何十年、何百年にもわたって紡がれた歴史をたった数時間で理解するなんて不可能だってことです。無理無理! むしろ、おこがましい!
柿次郎さん、歴史と文化の世界へようこそ、と言うのが一番の感想でした。
私たちが掲げる「地元ルネサンス 仕事ルネサンス」には、柿次郎さんが感じた諸々の文脈や背景を含んでいます。知っているはずだった地元を再発見すること。また、そこにある(あった)仕事を地元の文脈として再発見すること。ちなみに地元の定義として、小中学生時代の通学路を一つの範囲としました。それはつまり徒歩のスピード、または自転車で行き来できる距離感を示しています。
みんな売れ始めています。
ジモコロを初めて、それまであまり脚光を浴びていなかったライターの記事や類似の企画の切り口を、同業他社含め目にする様になりました。属する会社がどうであれ、個人的には良い傾向だと思っています。ライターとしての職業が、現実的な一つのポジションを得られるのであれば、雇用の創出という側面でも意味があったと考えています。その分、ジモコロは先へ先へ行かなければいけないとも考えています。
一次情報が全て。
各地の一次情報を得ること。それがジモコロの一つの武器ではありますが、「地元・仕事・面白い」という軸だけでは、単純に消費される記事になってしまいます。何となくその時は面白くて、流行りの仕事が垣間見えて、それはそれでコンテンツマーケティングの意味を成すのだと思います。但しそれはルネサンスに繋がりません。エンタメとして一時的な消費活動となり、他記事などに駆逐されるだけの情報でしかありません。つまり一次情報が見つかれば誰でも(どのメディアでも)良い、となってしまいます。
新たなステージに。
柿次郎さんが感じた歴史の文脈が一つの答えだと考えています。ジモコロを半年ほど動かした時に、「ジモコロは次のステージに行かないといけない。今はまだ消費されるだけの記事ばかりだけれど、消費されない、今後も言及され続ける記事を出し続けなければならない」と、何となくのビジョンを定めました。結果的に2015年の年末から、ジモコロの記事は立ち上げ当初に比較し、より「仕事」に寄り添った記事が増えています。
仕事が全てではない。けれども、そこには人の歴史がある。
各地の取材が増える度に、各地の歴史が紐付いて来ます。地元を代表する仕事には、地元の文化に紐づく仕事があり、その仕事にもまた歴史があります。そこを掘り下げて、またわかりやすく伝えられるのがジモコロの良さだと思います。ただ「面白い」と消費されるものから、「面白く、そして今後、はたらき方を確かめるために何度も読みなおす」ことができる記事こそが、今後のジモコロの在り方を示してくれるものだと私は考えています。
面白さと仕事と文化と歴史。
歴史は固く見え、歴史的知識は一般の仕事においてあまり意味を成しません。だからこそジモコロという表現手法が有効的だと思います。一見、消費的でエンタメ的情報に見えても、読み解いてみれば、あまり光が当たっていなかった仕事や労働の歴史が立体的に浮かび上がってくる。一見すればコミカルな内容も、実は様々な課題定義をしている、猫を被った媒体。ある意味で、誰もが楽しめる、そんなメディアであり続けられればと思っています。